ダンサー引退、セカンドキャリアへ向けて…【その1】

 

 

 

二十歳で米国に留学し
日本に帰国したのが25歳の時。

 

当時私は様々なオーディションを受けながら、
日本でダンス活動する道を模索していました。

 

希望は舞台の仕事でしたが、
実際はダンスが踊れるならテレビの仕事でも
経験の無かった社交ダンスを踊ったり、

 

また「ダンサー役」という設定で、
全く踊るシーンのないバラエティ番組に出演したりもしていました。

 

全てはダンスで生計を立てるためでしたが、

 

やはり自分が意図としていない仕事は、
どうしても違和感を感じてしまい、

 

こんな生活を果たしてずっと続けれるのだろうか?

 

そんな疑問を常に感じながら
2〜3年は同じような生活を続けていたと思います。

 

そして28歳の時、
とある舞台の仕事を頂いた時に決断の時がやってきました。

 

おそらく…
50〜60人ぐらいは居た出演者に混じり
リハーサルをしていた時だと思いますが、

 

もう、ここに自分の居場所はない、
もっと自分が輝ける場所があるはず!

 

なぜか、そんな気持ちになり
見せる側としては終わったことを感じました。

 

加えて当時は1〜2ヶ月に1本程度ある舞台の為に、
毎日レッスンとリハーサルがある生活にも限界を感じていたので、

 

自分でも、そろそろかな?

 

と思っていたのも確かです。

 

よく言われることですが、
日本でダンスを職業として成立させることは
本当に難しいことであり、

 

その業界でやっていける人は
オーディションを受けなくても仕事はもらえる!

 

それがこの世界の常識。

 

私もそう考える様になってから
誰に話すでもなく少しずつ業界からはフェードアウトしていきました。

 

スポーツ選手のセカンドキャリアもそうだと思いますが、

 

次のステップへ進む道は、
迷う人もいればスムーズに決まる人もいると思います。

 

私はもともと色々なアルバイトをしていたので、
迷うのに時間はかかりませんでした。

 

・自分に経験があること

・自分が好きなこと

・他人が真似を出来ないこと

・世の中にニーズがあること

・仕事として成立すること

 

そして当時私はバイク便の仕事をしていた関係もあり、

 

時代の流行り廃りに影響されない仕事はないか?
そんなことも考えていました。

 

1990年代から2000年代にかけて世の中は
急速にデジタル化が進み、バイク便の需要そのものが希薄になり、

 

中小規模のバイク便は次々と倒産し
生き残れても吸収合併などを繰り返しながら、
低空飛行を繰り返していました。

 

いつまでもバイク便業界にいれないと感じた私は、

 

もしできるなら、
違う立ち位置でダンスと関われないか?

 

そんなことを模索していました。

 

つづく

 

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